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2004年11月12日
「隠し剣 鬼の爪」― この時代の変わりめに
平成すでに16年(もうすぐ17年)、昭和は遠くなりにけり。
久々映画館に戻って来たという風情の、ご高齢の方々が、この映画を芯から楽しまれているご様子に、ピグモンはほのぼの心あたたまりました。
その一方で、先に掲げた感慨しきり、今ひとつ作品が臓腑にしみず、自分があるいは自分の時代が失ったものに、改めて思いを馳せてしまったのです。それは遠い海のきらめきに似て…
「もう一度あの世界をー雪深い北国で、ひたすらつましく大声を上げることもせず、身の丈にあった人生を静かに生きることにした侍たちを、敬意を込めて描きたい、と願った」 (山田洋次監督)
『隠し剣 鬼の爪』は、2004年米アカデミー賞外国映画賞にノミネートされて話題になった、『たそがれ清兵衛』に続く、山田洋次監督の時代劇第二弾。
原作者は、同じく、華やかな歴史の表舞台に決して立つことのなかった市井の人々の哀歓を、品格ある文章で描き続けた藤沢周平です。
幕末を迎えた小藩の下級武士の、清廉な暮らしぶりとその凛とした生き様は、前作と通底しますが、今回は、より娯楽性豊かな作品となっています。
『たそがれ清兵衛』に感銘を受けた方は、その娯楽性を堕落と見るか成熟と見るかで、評価は分かれるかもしれません。
東北の海坂藩、平侍の片桐宗蔵(永瀬正敏)は、以前行儀見習いに農家から自宅に奉公に来ていた娘きえ(松たか子)が、嫁ぎ先の商家で虐待され病に伏せていると聞き、商家に乗り込みきえを連れ帰る。回復したきえとの暮らしは、明るく笑いに満ちたものだったが、宗蔵は身分違いと親友に進言されて悩んだ末、きえを実家に帰してしまう。
その直後、宗蔵に、同じ道場の門下生だった友人を、幕府の改革派に通じた謀反の咎で斬るよう、藩命が下る。その友人は、藩随一の剣豪とされていたのに、なぜか道場の師は、宗蔵に一子相伝の秘剣を伝授していたのだ…
青春の清冽な恋、友人との果たし合い、そして悪への制裁と、この作品は、前作にはない正当ともいえる豊かな娯楽性に満ちています。
けれど、ピグモンは、前作『たそがれ清兵衛』における、下級武士のビンボー生活の徹底したリアリズム、互いを思いやるからこそ一筋縄にいかない中年の恋路の紆余曲折、そして、時代にあらがうことなく敗北していく哀切な運命、そういったものに、深い共感を覚えていたのです。
そういったものを再び期待して、『隠し剣 鬼の爪』を観たから、いけなかったのでしょうか。
この映画は、前作とは全く別物と考えて、徹底的に楽しむつもりで観たらよいかもしれません。
それにしても、ピグモンのような恵まれた世代が、違和感を多少覚えるかもしれないこの作品のまっとうさを、戦中戦後食料にも事欠く生活や、時代に翻弄されるということがどういうことか、骨身にしみているご高齢の方々が、心から歓迎しておられるご様子なのは、どういうことでしょうか。
ピグモンは、戦中戦後を過ごした方々の、「貧しくとも明るく心根はまっすぐ」という純粋な意志をそこに感じて、心打たれます。
それは、冒頭述べた自分が、あるいは自分の時代が失った何かのひとつなのでしょうか。
この映画のラスト、「もう人を殺すのはいやだ」と、主人公はサムライを止め、北海道で商いをするために藩を去ります。
「もう戦争はこりごりだ」と、戦後日本は、これからはこつこつものを作って世界に買ってもらおう、と再出発しました。
閉塞した時代の先に何か血生臭い予感がする今、生きる知恵を乞いたいのは、団塊の世代より、そうやって戦中戦後をサバイバルしたお年寄りかもしれませんね。そういう意味では、若い方々にこそ観てもらいたい映画です。
ところで、これは拳士向け余談ですが…
『隠し剣 鬼の爪』で、一番興味深かったのは、藩の存亡を賭けた近代式軍事教練でした。
古武術の甲野善紀氏や身体論の斉藤考氏などの著作を通じて、「昔の日本人の歩き方と、現代日本人の歩き方は違う」ということや、「昔の庶民は、走れなかった」なんてことを知ってはいたのですが、この映画の中で、それはなるほどそういうことか、と映像で納得させてもらいました。
ご存じの方も多いと思いますが、日本人の伝統的な歩き方は、右手と右足、左手と左足という風に前に出ていた(いわゆるナンバ歩き)のですが、江戸末期から入ってきた近代式軍事教練や明治期の学校体育教育で、膝をのばして右手左足、左手右足と組まされるようになったのですね。
小藩の武士たちが、江戸から来たイギリス語を使う指導教官に、あきれられたり叱られたりしながら四苦八苦する様子にほのぼのしつつ、日本人の身体感覚が、あの時期劇的に変わったのだなぁと、実感してしまいました。
投稿者 administrator : 23:39
2004年11月10日
デカ金魚飼育
『お宅の玄関は正に水族館ですね』初めてのお客さんが我が家の玄関に入ると大抵こんな事をおっしゃる。下駄箱の上に60cmの水槽が2つ、45cmの水槽が1つ、さらに上がり場に一つ、合計4つの水槽を置いている。アロワナ1匹と、あとは金魚・フナばかりであるが。その中に特に大きい金魚が目に付く。体長18cmと17cmの2匹が一つの水槽に堂々と泳いでいる。我が家でもう20年暮らしている。家で飼っている金魚は全てお祭りの金魚すくいで貰ったものである。このデカ金魚も最初は3cm弱であった。私は、弱い金魚をどうしたら長生きさせるかその工夫することに興味を持ち、癒しの趣味として今も続いている。2匹いるフナも勤務先の「夏祭り 魚のつかみ捕り」で手に入れたものであり、今年で16年目と14年目を迎える。
私が経験で得た魚の長生きさせる「4つの秘訣」を紹介させていただく。
秘訣1.水の管理
最も重要なこと。排泄物により尿素が増え、皮膚病にも冒され易くなる。
ほぼ毎週水槽の水を1/3交換しているが、この程度なら水道水そのままで問題無い。
中和剤は不要である。その代わり、水を消毒する意味で塩を大さじ1杯相当入れる。我が家は毎月、料理に使う分量以上の塩を水槽に費やしている。病気にかからなくすることが長生きの1番である。万が一、皮膚病等にかかった場合は早期治療が肝要である。主な疾病にエロモナス及び滑走菌等を媒体とする細菌性感染症(皮膚炎、ひれあか病、尾ぐされ病など)がある。大抵の病気は細菌性感染症治療薬「グリーンF グールド」で薬浴することにより完治する。病気は早期発見が大切であり、魚の動きや皮膚状態を良く観察するようにしている。
秘訣2.餌の管理
毎朝、浮上性の餌を2種類与え、大きく成長させている。金魚、フナは一日1回で十分である。アロワナは大食家であり、コイツには朝、晩2回与えている。どちらも、数分で食べ尽くす量が最適である。余った餌は水を汚す原因になるため、餌のやり過ぎに注意が必要である。
また、餌やリ時が魚と飼い主との触れ合いができる時間であり、しばらく眺めてやるのが良い。アロワナは頭が良い魚であり、餌をくれる主人を覚えているのか、私が近づくと尾ひれを大きく振って歓迎してくれるのが嬉しい。
秘訣3.ストレス解消
狭い水槽の中で長い間飼っていると、魚もストレスが溜まってくる。たまには広い所に出し、思い切り泳がしてやることが大切である。我が家では、魚の運動会と称して、数ヶ月に一度、子供用のビニールプールに水を張り、1日中泳がしている。最初は怖がって固まっているが、直に慣れ気持ち良さそうにビニールプールの周りを力強く泳ぎ出す。夕方、元の水槽に戻すが、どの魚も疲れてぐったりしているのが判る。翌朝、ストレス解消された魚の動きは鋭い。
秘訣4.環境作り
本来生き物は自然の中で生きるのがベストであり、それに近い環境にしてあげるのが飼う人の気配りである。具体的には昼間明るく、夜は暗く静かにさせてあげることである。必要以上の振動や照明を与えないように気を使っている。
とにかく、まめに世話をすることに尽きる。
私から一言
「好きなことだから、人は頑張ることができるのです。好きなことだから、少々の苦境ももうちょっと踏ん張ってみようかという気持ちになれるのです。だからあなたには、本当に好きなことをやってほしいと思います。」
投稿者 administrator : 18:57
2004年11月05日
「アイ・ロボット」―心で考える
ハリウッド的華やかなアクションと、原作者であるSF作家アシモフの持つ哲学性が、ほどよくブレンドされて、単なる娯楽作品を越えた魅力のある映画になっていました。
ストーリーは、近未来社会、旧型家庭用ロボットから画期的な新型家庭用ロボットへの転換期。
ロボット生産を一手に担う大企業の、新型開発担当をしたロボット工学の第一人者が殺害される。
ロボット嫌いの刑事デル(ウィル・スミス)が、企業中枢に直接捜査にあたったところ、有力な容疑者が浮かび上がる。
それは一体の「心を持つ」新型ロボットだった…
そのロボットが、実際に自分を創造した開発者を殺害したのか?
そうだとしたら、なぜ?背後にだれかいるのか?
映画は、謎解きの連続で息もつかせません。
過去にロボットとの複雑な因縁を持つウィル・スミス演じる刑事も、陰影に富んだ演技がなかなか素晴らしかったですが、だれより、殺人容疑者のロボット“サニー”が、一番魅力的で、最後まで惹きつけられました。
ロボットらしく感情が読めず冷ややかで不気味でもありながら、時に無垢な驚きやあたたかいユーモア、そして寂しげな憂いさえ感じさせたのです。
「わたしは、だれ?」と人間自身にとっても答えがない問いを、自己に問いかけ続けるサニーは、哲学者の趣きさえありました。
映画は、クライマックス、ロボットの叛乱を首謀した人工知能マザーコンピューターと、新型ロボットのサニーとの対決になります。
原作者であるSF作家アシモフの提唱した、有名なロボット三原則というものがあるのですが、
それは、
1. ロボットは、人間に危害を加えてはならない。また、その危険を見過ごすことで、人間に危害を及ぼしてはならない。
2. ロボットは、人間の命令に服従しなくてはならない。ただし、その命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。
3. ロボットは、先の第一条・第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなくてはならない。
という、ロボットが守らなくては(というか開発する側が守らなくては)ならない倫理条項なのでした。
ところが、暴走した人工知能マザーコンピューターは、
このロボット三原則の「人間」を、「人類」に拡大解釈してしまうのです。
いわく、「人間は、地球ひいては人類を滅ぼすような愚かしい行為をしている。ロボットは人類を守らなくてはならない。人類を危機から救うためには、多少の
人間の犠牲もやむをえない」という具合に。
そんな風に、「わたしは正しい!わたしは正しい!」と連呼するコンピューターに対して、サニーは答えます。
「確かに論理的には正しい。しかし、あまりにも心がない」
う~ん、この答えは、結構、ずしん、ときましたね。
昔、「全ての人々を平等で豊かに」と高邁な理想を掲げて出発したはずの社会主義は、多くの国々で理想実現のためにという名目で、人々を粛清しました。
今だって、「テロを根絶して、世界平和を」といかにも正しい理由で、イラクの罪もない市民が、子供も含めて殺されています。
誰も正面切って反論しようがない、正し過ぎる理想や論理というのは、なぜか居心地が悪いものです。
その「気持ちわるさ」がなんだろう、と考えると、あのロボットのサニーの答えに行き着くのかもしれません。
「あまりにも心がない」…
心で思考する、ということは、ほんとうに難しいのかもしれません。
政治や国家レベルになると、ますますそれから遠くなりがちですね。
この映画が、リベラルな風土カルフォルニア州のハリウッド映画人による、「ブッシュのアメリカ」批判をやんわりしている、というのは、考え過ぎでしょうか。
ところで、余談ですが、
例のロボット三原則、ソニーのアイボにおいては、
1. ロボットは、人間に危害を加えてはならない。自分に危害を加えようとしている人間からは逃げることはできるが反撃してはならない。
2. ロボットは、原則として人間に対して注意と愛情を向けるが、ときに反抗的な態度をとる事も許される。
3. ロボットは、原則として人間の愚痴を辛抱強く聞くが、時には憎まれ口をたたくことも許される。
だそうです。
これって、なんだか、「ロボット」を夫(もしくは妻)、「人間」を妻(もしくは夫)におきかえてみると、おかしくありませんか。
「夫は、原則として妻の愚痴を辛抱強く聞くが、時には憎まれ口をたたくことも許される」とか(笑)
投稿者 administrator : 22:27